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トロント中心地の大火災から112年目の春

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カナダの首都は?

と聞かれて、すぐに

オタワ!

と答えられる人は、相当なカナダ通です。

それでは、オンタリオ州の州都は?

と問われ、やはり

オタワ!と答える人は、まあ普通の人です。

実は、オンタリオ州の州都は、トロントなんです。(え!知ってました? でも、そのお話はまた別の機会に)

 

1834年3月6日にトロント市となって、今年で182年。今では、カナダの産業の中心で、特にトロント証券市場がある北のウォールストリートと言われる金融街ベイストリートがその中心となっています。

ベイストリートを中心としたダウンタウンコア(東はヤング、西はユニバーシティ、北はダンダス、南はフロントに囲まれる地域)には、銀行、証券、保険、商社、法律事務所、監査法人などカナダを代表する企業の本社があり、また各国の(総)領事館、政府機関、商工会議所なども、集中しています。

日本の企業では、3大メガバンク、三井、三菱、住友といった商社、3大損保などが事務所を構え、総領事館、ジェトロ、日本政府観光局などもあります。

 

今では、超高層ビルが立ち並ぶトロントのダウンタウンコアですが、トロント市となってからちょうど70年後の1904年4月19日、大火災が起きて、ダウンタウンコアはほぼ全焼したことがあります。

Toronto Sketches10 Mike Filey著 ”The Way We Were” より

 

1904年4月19日 午後8時を少し過ぎたころ、ダウンタウンコアのウェリントンとヨークストリートの角にあった、E&S Currie Companyビルに残っていた燃えやすい材料から出火(出火の原因は不明)

その火は、すぐ隣に置いてあった、翌日使われる予定だった男性用ネクタイ生地に燃え移りました。不幸にして、その日はスタッフが早く帰宅しており、小さなボヤはアッという間に燃え広がることに。そして、急激に上がった熱は炎となり窓を破り、数秒のうちに隣のビルに燃え広がったと思われます。

さらに悪いことに、その夜は冷たい北西の風が強く、その風に後押しされ鵜ように、火はどんどん広がっていきました。

火事に気付いた警官が警鐘を鳴らし、消防隊が出動、数分のうちに現場に到着しましたが、すでに燃え広がっている状態で手が付けられず。結局、翌朝まで燃え続けたそうです。

記録によれば、消火にあたった消防士は200名以上、さらに大火災の連絡を受けた周辺の街からも消防士が駆けつけました。遠くは、アメリカ、ナイアガラの向こう、バッファローの消防署から特別列車で消防士数名と蒸気ポンプ2台が送り込まれたとのこと。(ありがたいことですね)

 

しかし、懸命な消火活動にも拘わらず、結局、夜中の間に、ビル・家屋100棟以上が消失し、220ものビジネスが失われました。その被害額(当時の金額で)10ミリオン以上。失職した人は5000人以上と言われます。

 

出火発見が早かったにもかかわらず、消火活動が進まなかった原因には、当時の水道システムの水圧が低かったことにあったそうです。

この火事に苦い経験を受けて、その後トロントの水道システムは、高水圧システムに変更され現在に至っています。

 

それから、112年。

今では、そのような大火災があったことさえ、知る人はほとんどいなくなり、日々多くのビジネスマンが活躍しています。

トロントにお越しの際は、ダウンタウンコアを散策されると思いますが、約100年前にはそんな大火災があったことを記憶の片隅に置いて見てください。

 

最後に、このダウンコアの地下には、世界一のアレがあります。

そのアレについては、また別の’機会にご紹介しますね。

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