ハプスブルクの繁栄を再び ティミショアラ、ルーマニア

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見渡す限りの平原である。筆者は、セルビアの首都ベオグラードからルーマニアの都市、ティミショアラへ、バンをチャーターして向かう。車窓から見る景色はひたすらまっ平らな大地だけである。西ヨ―ロッパの友人たちは、ルーマニアは貧しくて危険な国だと異口同音に言った。自分は自分の目で確かめないとほかの国を判断しない癖はついている。でも、日も暮れはじめ、できれば、多少は明るいうちに到着したいという思いで車中かられていた。

ようやく、ティミショアラに到着したときには、もう11時を回っていた。とりあえず、ホテルを速やかに見つけ今日はゆっくりと休もう。しかし街の門は立派でどうやら城砦に囲まれているようだ。

市内は意外ときれいだ、思った以上に街は大きい。夜であるが照明がなされている。やたら立派なクラシックな建物が大量に集積している。下の巨大な立派な建物はオペラ劇場だ。この町どうやらすごそうということがわかってきた。明日の朝が楽しみだ。

一夜が明け、早速、街を歩くと、巨大な広場があった。どの建物も非常に立派だし、整然としている。広場も非常に大きい。その広場を取り囲むようにカトリック寺院、セルビア正教の寺院、またシナゴーグまである。

上記の黄色い時代はハプスブルク帝国時代の総督府であったらしい。そう、この町は、ハプスブルク帝国時代、このあたり一帯の中心都市であったのだ。いつものように自分はカフェやバーで地元の人たちといろいろと雑談する。するとほぼすべての人が自慢するのはティミショアラはもとはハプスブルク帝国内の皇帝都市としての誇りを自慢する。彼らはここはルーマニアと文化が違うと強調する。今でも、多少のドイツ人、ハンガリー人は住んでいるが、戦前はドイツ人、ハンガリー人、ユダヤ人、セルビア人、ルーマニア人が混住し非常に産業の発達したハプスブルク帝国東部の中心地であったそうだ。だから、宗教もカトリック、正教、ユダヤ教、プロテスタントと民族同様に混在の地であったようだ。そうなると、この町の街並みの美しさも理解できる。どの建物もハプスブルクの町らしく非常に凝ったデザインで豪華である。また、この町は、ヨーロッパで最初に街灯を設けたり電灯にしたりと先進の都市もあったらしい。

城砦と堀で囲まれた旧市街は非常に大きく、すべてが同じ時代の建物でできていて、非常に美しい。正直、こんな東ヨーロッパにこんな栄えた町が19世紀にあったというのは驚きだ。

市中には、いくつかの大きな広場がある。ハプスブルク時代の新広場に行ってみる。ここも巨大な花壇があったり、噴水があったりと町のレベルを感じさせる。

物価は、ヨーロッパの中では極端に安いし、街もまったくもって安心であった。人々は、親切で、まだ日本人が少ないせいか非常に親日的に話しかけてくる。確かに共産主義の時代はつらかったらしい。しかし今また、ティミショアラはハプスブルクの皇帝都市としてのプライドを取り戻しつつある。自分はティミショアラであれば、きっとすぐにまた、昔の繁栄を取り戻すであろうと確信し、トランシルヴァニアの次の町に向かうことにした。

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